さて、またまたご無沙汰してしまいましたが。
相変わらず暑いシンガポールでローカル生活をしております。
先月、シンガポールにとってとても大きな出来事がありました。
去る3月23日早朝、シンガポール初代首相であり、その名の通り「建国の父」である
リー・クアンユー氏が亡くなったのです。
今年シンガポールは建国50周年という記念の年。
8月9に行われるナショナルデーの式典を、「まさに建国の立役者」であるリークアンユー氏と
ともに祝いたかった、という国民も多く、「あと数ヶ月だったのに、、、」という声もよく聞かれます。
91歳での大往生で、ここ数年は体調の悪化が噂され殆ど国民の前に姿を現すことはなかったのですが、
その後の街の様子を見ていると、リー・クアンユー氏の影響力の大きさを実感します。
一連の出来事を通して、シンガポールという国を再認識した部分も色々あったので、
どんなことがあったのか、まとめておきたいと思います。

亡くなる2週間ほど前から、リー・クアンユー氏の体調の悪化を伝えるアナウンスが
首相官邸から発信されていました。
普段リーシェンロン首相(リークアンユー氏の息子で、現首相)はFacebookページ上で
フランクに日々の出来事を発信されていて面白いので、私はそのページをフォローしているのですが、
その首相のFacebookページ上でも、随時このアナウンスがされていました。
最後の数日間は「危篤状態が続いています」「さらに悪くなりました」というアナウンスが
連日出されていました。
この投稿に対し、たくさんの国民がFacebook上でメッセージを送っていました。
リークアンユー氏に向けて「Grand papa、頑張って!」というものだったり、
リーシェンロン氏に向けて「あなたの(そして私たちの)パパは強いから大丈夫!皆応援しているよ!」だったり、
私の感覚からするとフランクなものが多くて、初代首相や現首相のことを身近に感じているのかなぁと思ったりしました。
各エリアの自治会館のようなところには、回復を願う住民の寄せ書きや花束などが寄せられていて、
その様子が首相のFacebookにアップされていたりもしました。
亡くなる数日前に、リーシェンロン首相がFacebookのプロフィール写真を悲しげな横顔の写真に変えたり、
綺麗な夕焼けの写真をアップしたりしていて、ちょっと意味深でしたね。
(そういえば、10代の少年が数日前に「リークアンユー氏が亡くなった」という情報をネット上に発信して、
それを真に受けた各国のメディアが死亡の一報を流してしまったという騒動がありました。
この少年は逮捕されてしまったそうですが、、、)

そして3月23日早朝に逝去の一報が。
その数時間後に、リー・クアンユー氏の息子で現(第3代)首相であるリー・シェンロン氏が
テレビの生中継で声明を発表しました。
多民族国家のシンガポールらしく、首相は同じ内容を英語、中国語、マレー語の3ヶ国語で
繰り返し話します。
自分の父親、というよりも、シンガポールにとって偉大な指導者が亡くなった、という風に
話していましたが、中国語でのスピーチ中に感極まって涙してしまう場面も。
その直後には、今日から1週間を国全体が喪に服す期間に定めること、1週間後の国葬までの
スケジュールなどが発表されました。

この日から、地下鉄やバスなどの公共交通機関では電子広告が全てリークアンユー氏のポートレートに変わり、
バスやタクシーの車体の行き先表示の部分にも「Remembering Lee Kuan Yew 1923-2015」という
合言葉が表示されるようになりました。
さてさて、だいぶ長くなってしまったので、続きはまた後日。