リー・クアンユー氏逝去から国葬までの1週間

シンガポール生活

リー・クアンユー初代首相が亡くなってから国葬までの1週間について
振り返ってみたいと思います。

まず身近な人たちでの通夜が行われ、亡骸はその後イスタナ(大統領官邸)から
国会議事堂に移されました。


国葬までの数日間、国会議事堂で朝から夜8時まで一般客の弔問を受け付ける、との
ことだったのですが、始まってみると弔問希望の人が多すぎて5-10時間待ちという状態に。

Yahooシンガポール版では1時間毎に現在の待ち時間と行列の開始場所がアップデートされ、
政府は急遽弔問を24時間受付に変更。


バスや地下鉄も運行時間を延長して深夜運行をするという徹底ぶりでした。

今は常夏のシンガポールでも特に暑い時期。その炎天下の中で何時間も列に並ぶとは、
リー・クアンユー氏への思い入れの強さを強烈に感じさせられました。

結局弔問の終了日が近づいても行列は短くなる気配が無く、結局最終日前には
なんとリー氏の棺が置かれている弔問場所の様子が動画で生中継されるようになり、
「これ以上並ばないでください。リー氏へのメッセージは各地の
コミュニティーセンター(自治会のようなもの)で受け付けます」
とのメッセージが政府から発信されるまでに。

動画にはリー氏の棺とそれを警護する軍人、弔問(といっても立ち止まる暇も無くお辞儀もできず
通り過ぎるだけ)する人々の様子が映し出されていました。

この1週間、ラジオではリー氏追悼ムードの音楽が主に流れ、テレビ番組も
(私の家にはテレビがないので見れないのですが)リー氏の偉業を振り返ったり
追悼する番組がメインだったとか。

そうして迎えた国葬の日はあいにくの大雨。
普段はスコール的に大雨が降ってもすぐ止むのですが、
この日はずっと雨が降り続いていて、皆「涙雨だね」と話していました。

国会議事堂から国葬会場のシンガポール国立大学まで、数キロの道のりを
パレードしながらと向かうということで、ルートも発表されていたので、
雨の中私も見に行ってきました。
沿道には多民族国家のシンガポールらしく、色々な人種の人たちがずらり。
リークアンユー氏の棺と関係者が乗った車が通り過ぎたのは一瞬でしたが、
皆「リー・クアンユー!」「Thank you Papa!」などと声を掛けていました。
(不謹慎ながら)雰囲気としてはマラソン大会の沿道のような感じでしたが、
皆思い思いにリー氏との別れを惜しんでいるようでした。


(余談ですが、国葬の行われた日曜の昼間は色々なイベントなどが「リー氏に敬意を払う為」
という理由で中止になりました。私がチケットを取っていた「美女と野獣」のミュージカルも、前日土曜の深夜12時前に中止及び払い戻しの連絡が携帯のメッセージに入りました。。。
せめてもう少し早く連絡くれたら、と思ったのですが、ギリギリの判断だったのでしょうね)

国葬には一般国民は参加できないので、ネットで生中継。
国葬の内容はシンガポール政府や国内組織の代表からのスピーチがメイン。
安倍首相はじめ各国の首脳陣も参加されていて、時々着席している姿が中継にも映っていましたが、特に何かするということは無かったみたいですね。

国葬をもって、1週間の喪中期間?が終了。

地下鉄の電子広告スペースやラジオなども元に戻りました。


興味深かったのは、色々な「Remembering Lee Kuan Yew」グッズが
現れたこと。

シンガポールの公共サービスなどに使われているリボンマークの中に
リー氏の横顔が描かれたデザインが、風船をはじめ、車のステッカーなど
色々なところに使われていました。

リー氏の逝去後1ヶ月以上経った現在、街の様子は通常に戻っていますが、
遺品などを展示する企画展に大勢の人が押し寄せて観られないほどだとか。

メモリアルデーを作ったり、建物や地名などにリー氏の名前を残したり、
という案は色々あるようですが、基本的にリークアンユー氏自身は
そのようなことを望んでいなかった、と息子のリーシェンロン首相から
説明があったようですので、どうなるんでしょうね。

8月9日の建国50周年ナショナルデーに向けて、リー氏関連の
企画はまだまだ続きそうです。

「たった一人の人」に対して、ここまで国や国民が大きく動くのか、
ということを目の当たりにした1週間でした。

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